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旭川市の初雪は平年より10日も早かったとか [北の街]

みぞれも初雪になるって知らなかった。
今月の13日にみぞれが舞い顔に当たって「もうすぐ冬か」と思ってはいたけれど、テレビなどで「旭川に初雪」の報が流れていた。もう少し山に近いところは雪だったんだ。この辺はみぞれしか降っていなかったのにと。

みぞれが雪と観測されるとは、いい歳(66歳)して、知らなかったとは情けない。

でもみぞれは、みぞれでしょう。

ネットで検索すると、多くのページで分けて説明してある。
なんだか分からない。雪が雨と混じって降るとみぞれだと?雪は雪でしょ?

初雪まあいいっか。でも今日26日の朝に降ったのは間違いなく雪でした。ここのところ寒い日が続いたので今朝が特段寒いとは感じていませんでした。

でも早朝なのにやけに明るいなと思って、カーテンを開けると窓の外は雪が積もっていました。

すぐには積もらないし昼頃には大方融けていなした。これから網戸を外し、窓を拭いて、暴雪板を窓に張って少しずつ冬の準備が始まります。

      
          ***  明るさに カーテン開けて 雪だより ***


旭川は、またなが~い冬です。

(写真は、10月26日(月)朝6時に部屋から撮ったほんものの初雪です)

      

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橋本徹大阪市長の“1回”政治的に死なせてって [コラム]

橋本徹大阪市長.jpg「爽やか、共感が持てる」と一世を風靡した橋本徹大阪市長。大阪都構想をぶち上げ自ら仕掛けた住民投票。勝ちに行った戦いだったが僅差とはいえ敗北。後に(5月17日)行われた記者会見。すでにご存知だろうが、あえてその内容の一部分を抜粋し列記してみると。
(全て橋本市長が記者から質問を受けた後に答えた内容です)
―――
* 市長任期(2015年12月18日)まではやりますけど、その後は政治家はやりません。
* 弁護士はやります―――。
* ―――自分なりに悔いのない政治家としてのこれまでの7年半。思う存分やらせてもらった。今日もこういう舞台で住民投票の結果で政治家を辞めると言わせてもらうなんて、本当に納税者のみなさんに申し訳ないけど大変幸せな7年半だった。
* また2万%って言わせたいのですか。(過去大阪府知事選への立候補を2万%ないと発言していた)―――嘘をつく必要もない。政治家は僕の人生から終了です。
* (12月18日大阪市長満期終了時点での方向転換?)ないですよ。―――僕みたいな政治家はワンポイントリリーフ。僕みたいな政治化が長くやる世の中は危険。
―――

その日から約3ヶ月が過ぎた。ところが、日刊スポーツ(2015年8月30日・日曜)の社会面を読んでいると、おやおやと思わせる記事が載っていた。『橋本市長街頭演説・新党「最後の仕事」』と題し、橋本市長が街頭演説で発言した内容が記載されている。

その記事を引用すると
―――
街頭では聴衆から「徹ちゃん、やめないで~」コールもあったが「いや~ありがたい。でも1回、政治的に死なせて」とあらためて政界引退を明言した。
―――
と、あるが、さてこの“1回”ってどういう意味なのだろうか。

最近テレビのバラェティー番組のなかで、タレントの綾小路きみまろさんが話していたのを聞いて笑ってしまった。たしか素人さんとのやり取りのなかの話。(覚がきです)
「人は死ぬとどうなるんでしょうね。天国ってどんな所なんでしょう…」
「そりゃ良い所に決まっているだろう。帰ってきたやつはいないんだから」
きみまろさんはメモしますと言っていた。

昨今の報道では「維新分裂・離党」の文字が飛び交っている。橋本市長は舌鋒滑らかだが、私が政治に強く興味を持って40年以上すぎた今、どう振り返って見ても、こういう分裂で大きく成長した政党を見たことが無い。ほとんどが尻つぼみで終わっている。
もう彼の涙にも色がついてしまっている。誰もそれを拭こうとはしないし、もらい泣きもしないしのでは。

「徹ちゃん、やめないで~」「でも1回、政治的に死なせて」
こちらの方は笑えないし面白いろくもない。“1回”死んだら戻ってこられないのは、綾小路きみまろさんの話だけか。やはり橋本徹というご人は、私などとは相容れないのか。政界でも一時「ゾンビ」なる言葉が流行ったが、そちらの世界のご人なのだろう。    
ご本人が記者会見で発言した「僕みたいな政治化が長くやる世の中は危険…」。ごもっとも。

橋本徹大阪市長におかれまして、任期終了後に迎える「お正月」は、是非ご家族とゆっくりなさっては。

参照:日刊スポーツ2015年8月30日号社会面
:水島宏明・法政大学教授ブログ

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おばあちゃんに教えてもらった「和顔施」のこころ [コラム]

 久ぶりに心を揺すぶられ、涙が流れてしまう番組を観させてもらった。
テレビ朝日で3月19日(火曜日)の夜8時から放送されていた「たけしの健康エンターテイメント・みんなの家庭の医学」である。

 三つのテーマの最後にあった、茨城県に住む78歳になるおばあちゃんの出来事を追っていた。おばあちゃんの口の中に発症した口内炎が、そのうち治ると放置しておいたら、いつの間にか癌化してしまい、顔の半分を取り除かないと余命一年と医師からの宣告を受けてしまった。

 そこには、おばあちゃんのことを思う家族の葛藤があった。こういう状況を考えると、どこの家族でもありえる葛藤である。心を揺すぶられたのは、お嫁さんのおばあちゃんへの気持ちと、おばあちゃんの優しさ、心配する周りへの心づかいにある。

 お嫁さんの話では、おばあちゃんは働き者で、嫁いだときから台所仕事なども丁寧に教えてくれるいつも優しいお姑さんだったそうだ。だからこそ医師から「おばあちゃんは癌です」という、むごい宣告を受けたときに、お嫁さんが苦悶している様子は、自分にも実母のことで似た体験があるので察するものがある。

 そんなおばあちゃん。本人が医師から直接、癌の宣告を受けたときはショックを隠せなかったものの、その後は周りの家族に気を使い、心配させたくない思いから笑い顔さえ浮かべる。この強いおばあちゃんをみて、これこそ究極の「和顔施」ではないかと思った。

 宗教でいう「布施」のなかにある「和顔施」は、「無財の七施」のなかのその一つなのは皆さんよくご承知だろう。瀬戸内寂聴さんが好きで、著書を何冊か読んでいるけれど、いたるところにこの「和顔施」の大切さを説いてある。

                  誰にたいしても優しい顔で相手に接する。

 しかし、これがなかなかできない。何人かの人に対し笑顔で接することはできても「誰にたいしても」というのが難しい。まして自分の体に重い病が生じ、苦しいときに本当にどんな相手にも笑顔で接することができるだろうか。

 おばあちゃんは、最新の医療(世界で日本しかない治療)で顔にできた癌をやっつけつつある。CTの写真でもはっきりと癌は5分の1に小さくなり回復にむかっていた。今後も治療を続けることのようで、一日も早い完治を祈りたい。

 それにしてもこの「和顔施」は、今の日本人が忘れてしまった“こころ”の一部分なのだろうか。笑顔で語りかける大切さを、もう一度勉強してみようと思う。

参考:http://asahi.co.jp/hospital/onair/130319.html
(たけしの健康エンターテイメント・みんなの家庭の医学)

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パニック障害など、動悸について3つの分類があった ―(2) [パニック障害]

循環器専門医院では初診ということもあって、予約してある患者の後に見てもらうことに。診察まで2時間ある間に、胸部のレントゲン撮影と心電図の検査を行い、その結果についての診察を待っていた。

医師の診察では、心臓肥大もないし心電図にも異常はないという結果である。そのときいままで通っていた病院で何人かの医師に診察を受けていたが、ただ「心臓には異常はないから」で済まされていた。しかし今回のようなこういう話は聴かされたことはなかった。

そのうえ、医師から受けた動悸(心臓の病気)についての説明は、分かりやすく初めて自分なりに納得できるものがあった。

医師の説明は「動悸(心臓の病気)には大きく3つの症状で分けられるという話から始まった。その3つとは、

(1)何ら激しい行動を取っていなくても起きる動悸で、脈がかなり速い。
(2)多くの人が知っている不整脈。脈が飛んだり、速くなったりの症状を起こす動悸。
(3)動悸がしているときに、脈の鼓動を強く感じ、ドキン・ドキンという感覚がある。

(1)と(2)の症状には注意が必要で徹底した検査をするほうがいいが、(3)の症状は、精神的ななことによる要因が多く、心臓そのものに何か欠陥があるということではないという説明だった。

今回、私の症状はこのなかの(3)に該当していたので精神的なものからきているようなのだ。医師は「今回の症状は大きな心配はしないでいい。心電図・レントゲンなどを診ても何ら異常はない」というのがその日の最終診断だった。少しの動悸を、自ら追い込んでしまう「パニック障害」から来るもののようなのだ。

検査、診察を受け帰宅後、自分なりにその原因を探ってみるると。思いつくことが何点か浮かんできた。

まず運動不足から来る体力の低下は計り知れないものなのだ。会社勤めをしているときは、通勤だけでもそうとうな運動になっていた。地下鉄の階段を下り、乗換駅で上る。そこでJRに乗り換えるのも階段の上り下りがある。駅を出ると会社まで10分歩く。仕事は車での営業なので結構ハードだった。仕事を終え帰宅するのも同じコースで階段の上り下りがある。それらが38歳で社会離脱して63歳までプッツリと途切れているわけなのだから、体力が低下しないわけがない。

そうは言え、40代・50代は自分なりに考え、片道1時間ほどかかる道のりを自転車で、坂道など立ち漕ぎなどで往復し、極力体力維持に奮闘していた。しかし毎日働いていた頃の運動量とは比べ物にならないのは明らか。これには納得せざるおう得ないだろう。

そこに追い討ちをかけたのが、玄関のドアが開かないほどの大雪がいきなり降り積もって始まった記録ずくめのこの冬の異常気象が、大きな要因だった気がする。余り動かしていない体での急な雪かきは応えたのだろう。その疲れが残っている寒い朝に、ごみ出しにいこうと思い外で準備していたときに胸苦しさはおきたのだから。

1月末の出来事も、その日は整形外科の予約日だったので、気持ちは余り進まなかったけれど、予約している以上行かなくてはと思い、ジャージからGパンにはき変えているときに始まっている。要するに今回の大騒ぎは、長年の運動不足が要因で起きる動悸にたいし、必要以上の不安を起こし、より鼓動をたかめてしまい、パニックを起こしてしまったという結論になる。

これは言い訳だけれど、ここまで詳しく教えてくれる医師もいなかったのも事実。このように3つに分けて話してくれると納得し、循環器専門医院の帰りなど、今まで悩んでいたのが何だったのかと考えてしまった。すべてにおいて知識不足。パニック障害と動悸に対しての勉強不足から来るものでしかない。自分を責めるしかないのだけれど、いろんな意味で悔しさもある。

その後、掃除機をかけるにしても、畳の6畳部屋×ジュータン敷き6畳(ここが最も辛い)×キッチンの広さなのに、始めると最後まで続けることができず、途中3回は休まないと終えることができなしまつ。まだしばらくは、時間が必要と思う。

春はもうすぐー2.jpg


窓の外に見える、隣家の屋根の雪融け具合からみると、春はもうそこまで来ている。4月になるとまた、自転車出を乗り回すことができる。急がずゆっくり時間をかけて体力回復のペダルを漕ぎ始めようと考えている。

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パニック障害など、動悸について3つの分類があった ―(1) [パニック障害]

いま迄パニック障害に悩まされてきているのは、過去のブログやホームページ「大雪の麓の庵」で書いていた。長い年月悩まされてきたが、症状は完治に近い状態までなってきたな、と自分なりに安堵していた。ところが最近この病気に完治はあるのかと、自分の体の異変に疑心を生む事態がおきた。

昨年の12月初めの頃と、今年1月末日の2回ほど我慢できない激しい動悸に襲われ、やむなく救急車の要請をしたのだ。初回は普通にすぐ近くにあるごみステーションに、指定日に従って分別ごみを出そうと思い、外で用意していた時胸苦しさを感じ部屋に戻ると始まった。

その胸苦しさを楽にしようと思い横になると、急に胃袋から食道にそって上へ波打つような動悸が起こり、慌てて安定剤だけど「動悸を止める作用もあるからね」と、いわれていたソラナックス錠をかじり、動悸が治まるのを待っていた。

これに似た症状が今までなかったわけではなく、何回か経験している。そのときはソラナックス錠をかじり安静にしていると15分から20分もしないあいだに動悸は治まっていた。
ところが今回は1時時間を過ぎても治まるどころか寝返りをうつとなお鼓動は激しくなり、みぞおちの周りで皮膚が波打っている。余りにもいつもの症状と違うし苦しさが続くので救急車を要請し、通院している病院に搬送して貰った。

しかし病院に着き救急処置室で心電図や血圧を測っている間に今まで激しかった動悸は少しずつ治まり始めた。血圧が170以上あったが、脈拍は110~120と落ちついている。医師はカルテを見ながら、先月処方されたばかりの、夜に床につくと出るタンと咳止めの薬が原因と判断し、とくにタンが出るのを止める薬の服用を中止するようにとのことだった。そして動悸を止める薬を頓服として処方され帰宅した。

それからおおよそ二ヶ月が過ぎたが、その間は特に何もなく普通の生活をしていた。ところが1月の末に同じような症状が起きてしまった。
その日は長年の持病である腰痛のために通っている整形外科の予約日である。時間を見ながら外出の用意をと、ジャージからGパンにはき替えていたときである。前回とまったく同じような激しい動悸が襲ってきた。

医師の指示通りタンのでる薬の服用はしていなかった。「ではなぜ」同じ症状が起きるのか。動悸に加えそういう不安感は頂点に。動悸を止める頓服薬とソラナックスを服用しこれを飲めば治まるだろうと横になっていた。しかし今回も1時間過ぎても一向に治まることはなかった。頓服薬は役目をはたさないでいる。苦しさが続いているので再度救急車の要請をすることにした。

しかし病院に着き救急処置室処置を受けていると、次第に動悸は治まり始め、血圧は122と安定、脈拍にいたっては60台と普段でも余り経験のない少ない脈拍数である。自分でも分からなくなってしまい、医師や看護師には、だた「申し訳ありませんと」しかいいようがなかった。それでも今回は疲労が診えるということで、1時間ほどの点滴を受けることになった。

数日後、いつも診察してもらっている担当医師に相談すると「パニックからきていますね」と言い、「この動悸をとめる薬は、軽いものなので一日3回くらいは服用してもかまいませんから」と、初め頓服でもらった薬の増量の処方を受けた。

なぜ急な動悸が起きるのか、何がそうさせるのか、全く心臓には欠陥がないのか、それについて質問しても説明はなかった。特別な検査をするわけでもなく、不安はつのるばかりである。

こうなったら、循環器専門医に診てもらうしかないと考え、近くにある開業したての医院に行ってみることにした。

春はすぐに.jpg

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親切だった「NEC121相談窓口スタッフ」のみなさん [コラム]

パソコンの電源を入れると、どこを開いてもモニターの左端に白い枠が出てきて消えないでいた。そこには「マイコンピューター」をクリックすると出てくる、「3,5FD(A)」や「ローかディスク(C)」などが表示される。これには困ってしまい、何が原因なのか考えていた。

そこでGoogleを開き色いろ検索してみたが、歳を感じさせられただけだった。そこに書いてあることすら解釈できないのだ。普段ブログを楽しんだり、Excelでちょっとだけ家計簿もどきで済ましている者にとって、パソコンのハードといわれている内部のことはさっぱり分からない。

しょうがない、こうなったらプロに相談するしかない。そこでいつも頼りにしている「NEC121相談窓口」に電話してみることにした。

相談初日は私の説明がうまくいかなく、なかなか理解して貰えなかったが、よく調べて電話していただくことになった。どうもスタッフの中にも専門分野があるようなのである。約束通り翌朝早くから電話があり、親切に指導していただいた。これがすごいと思う。最後まで対応してくれるのだから。

かなり前のことになるけれど、あるパソコンの周辺機器のメーカーに故障の件で電話したことがあるが、その時は「けんもほろろ」そのものだった。まるでロボットのお嬢様と話をしているみたいだったので、今回の対応は驚きでもある。

指導していただいた順番はかんたんそのもの。
○ 左端に出てしまう白い枠の空白部分にカーソルを当て、右クリック。
○ そのなかのに「マイコンピューター」と書いてある同じ項目が2段になって、それぞれチエックが入っていた。
○ それを一つずつクリックすると2段とも消え白い枠はすっきりと消えた。

修理はかんたんだったので、なお更恥ずかしくなってしまった。私自身が、しないでいいことを、どこかで何かをしてしまったようなのだ。パソコンに詳しい人は、そんなこと、と思うかもしれないが、私はこのことで1ヶ月以上悩んでいた。

もっと早く電話すればと考えたが、でもしていたのだ。なかなか繋がらないので半分諦めかけていた。私が今回電話した事柄のように、似たようなことで電話している人が多いかもしれない。それで繋がりにくいのだろうと勝手に解釈することにした。お仲間がいると思えば少しは気が楽か。

歳を受け入れましょ。「NEC121相談窓口」の皆さんには感謝です。

これを機会にまた少しずつブログをすすめようと思う。

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北の国:旭川は今年も紅葉がきれいに色づいたけれど [北の街]

旭川豊岡第3公園

遅い冬に一喜一憂している旭川市内。「雪ー来ないねー」が朝の挨拶になってしまっている。もう異常気象という言葉は使い古されてしまい、ご近所の会話は今の日常生活そのまんま。

それは今年の夏の暑さが裏付けていたのかも。9月の半ば(9月18日)過ぎてまで30度を超すなど考えてもいなかった。ただただ暑さが過ぎ去るのを待っていただけ。それでもこの2~3年同じようなことが続いているので、少しずつ慣れてきたのだろうか。

そういう自分自身、人一倍(病的に) 暑さに弱いので集中力“0”の情況が続き、やっとここにきてパソコンのキーボードにしっかり向き合えるようになってきた。暑いときには「もうどうでもいいや」と思い、パソコンを立ち上げても無味乾燥のていたらく。So‐netなどのブログに何か書きたいと思いスイッチを入れても疲労感・脱力感には勝てないでいた。

でも季節は移ろいます。いつも書いていた近くの公園には“秋”がやってきました。旭川市内の平野部にも紅葉前線が下りてきたようです。落ち葉が積もり「かえで」はすっかり紅葉色に。でもこれらの風景も今月半ばまでかもしれない。そう思いデジカメに撮っておいた。そう、これを書いている今日、枝を覆っていた葉がすでにほとんど枯れ落ち、被写体になった樹木は変わり冬が近いのを知らせてくれているようです。

近くのホームセンターでは、暖房器具・窓を覆うビニールや隙間風を防ぐビニールテープ、窓ガラスを落雪や落氷などから守るボードなど、様ざまなグッズが店頭に並んでいます。
旭川は、これから厳しい冬の季節を迎えようとしています。

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落日の向こう側 [コラム]

落日

いつも夕方になると西のほうに目が行く。北海道、とくに旭川に戻ってつくづく思うのは空気に淀みが少ないことだ。晴れた日の夕日の綺麗な様は、東京に住んでいた頃には目にしていないような気がする。

気がするというのは、地上から車道の延長線上に夕日を見ようとしても、聳え立つビルに遮られてしまい、しっかり見た覚えがないからだ。その上、都会の夕日は、綺麗だなと思わせるよりも暑さが勝ってしまうから、その気も起きないのだろう。

この何年か夏至の(6月21日)前後、なぜか旭川は曇りがちだった。今年もそうでこの写真もやっと24日のなって撮ることができた。天気予報で晴れのマークが出ていても、西の空は曇りがちが多かった。それにしてもこの日の夕日の力は強く、心の底まで焼き尽くさんばかりに燃えている。

でも夕日にその力があるのなら、燃え尽くしてほしいものがある。東京永田町を自分の利益のために奔走する政治屋と、我々の声を聴こうとせずに霞ヶ関界隈を「自分をいかに高く売ろうか」としか考えずに歩き回る官僚の、癌化し腐った欲だけの根性の塊だ。

その都会を挟んで向こうでは、大雨で甚大な被害とニュースでは伝えている。手前の東北地方ではいまだに復旧が叶わず落ちついた日々を送れないでいる。政治屋と官僚たちは、地元選挙区と大飯原発所にしか目が向いていない。夕日に願いを懸けるしかないのが虚しい。


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旭川の夏を告げる第80回を迎えた北海道音楽大行進 [北の街]

先頭を切っていよいスタート


毎年開催される北海道音楽大行進は80回を迎えた。節目となる今年は、石川県の小松工業高校吹奏楽部や、道内各地からも含め計109団体約4000人の参加があった。行進コースとなる永隆橋通りには、早くから多くの人が陣取っていた。

永山西小学校



天気予報では、午後から曇りのち雨の予想だったので心配したが、全チーム終わるまで好天に恵まれ、かえって日差しが強く木陰を探しながらの観賞だった。時代を反映して中学や高校のチームからは「AKB48 ♫ヘビーローテンション」などの楽曲も聴かれ、踵でリズムをとりながら楽しむことができた。



緑町小学校

神居・神居東・忠和小学校

旭川市立知新・朝日・千代田・啓明小学校

東川小学校

中富良野中学校

北見市立北中学校

石川県立小松工業高校

凌雲高校.jpg


今年は時間の関係で夕方からのアフターコンサートに行けなかったので来年は是非夕方を中心に動き回ろうと、今から楽しみにしている。


全ての写真をご覧になりたい方は下のurlで検索してください。

旭川地区吹奏楽連盟:http://www.hat.hi-ho.ne.jp/asa-suiren/
写真:http://www.ric.hi-ho.ne.jp/asahikawa-suiren/photo12/parade/opening.htm



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金環日食・北海道では18年後とか [北の街]

so-net金環日食ー1.jpg
2012/05/21/08:17:25

so-net金環日食-2.jpg
2012/05/21/08:19:19

今世紀最大と言われている、宇宙の壮大なドラマ「金環日食」は、心配していた天気もまずまずで、日本各地で歓声が上がっていた。北海道ではテレビのライブでしか楽しめなかったけれど、日食は確認できた。

専用のメガネがないので、直接日食を観ることは適わなかったのでテレビの情報を元に、牛乳パックに千枚通しで1ミリ程度の穴を開け、隣家の比較的白い壁を選んで、チャレンジしてみた。

始めた時はもう欠け始めていたので、慌ててカメラで撮影。たった2~3分の間にも変化を確認。ただ、写真を写す角度、カメラの位置などに少々のずれがある。気持ちの捉え方かもしれないけれど、映してみて確かに違いは間違いなく変化を感じ取ることができた。まあこんなものでしょう。

北海道では18年後に金環日食が観られるとか。18年後…ううう~ですか。63+18=81と計算は単純でも、心は複雑。観られるものなら観たい気はする。生まれたとき与えられた自分の定命がどうなのか、知る由もなし。太陽が相手だけにお天道様に任せましょうか。

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