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橋本徹大阪市長の“1回”政治的に死なせてって [コラム]

橋本徹大阪市長.jpg「爽やか、共感が持てる」と一世を風靡した橋本徹大阪市長。大阪都構想をぶち上げ自ら仕掛けた住民投票。勝ちに行った戦いだったが僅差とはいえ敗北。後に(5月17日)行われた記者会見。すでにご存知だろうが、あえてその内容の一部分を抜粋し列記してみると。
(全て橋本市長が記者から質問を受けた後に答えた内容です)
―――
* 市長任期(2015年12月18日)まではやりますけど、その後は政治家はやりません。
弁護士はやります―――。
* ―――自分なりに悔いのない政治家としてのこれまでの7年半。思う存分やらせてもらった。今日もこういう舞台で住民投票の結果で政治家を辞めると言わせてもらうなんて、本当に納税者のみなさんに申し訳ないけど大変幸せな7年半だった。
* また2万%って言わせたいのですか。(過去大阪府知事選への立候補を2万%ないと発言していた)―――嘘をつく必要もない。政治家は僕の人生から終了です。
* (12月18日大阪市長満期終了時点での方向転換?)ないですよ。―――僕みたいな政治家はワンポイントリリーフ。僕みたいな政治化が長くやる世の中は危険。
―――

その日から約3ヶ月が過ぎた。ところが、日刊スポーツ(2015年8月30日・日曜)の社会面を読んでいると、おやおやと思わせる記事が載っていた。『橋本市長街頭演説・新党「最後の仕事」』と題し、橋本市長が街頭演説で発言した内容が記載されている。

その記事を引用すると
―――
街頭では聴衆から「徹ちゃん、やめないで~」コールもあったが「いや~ありがたい。でも1回、政治的に死なせて」とあらためて政界引退を明言した。
―――
と、あるが、さてこの“1回”ってどういう意味なのだろうか。

最近テレビのバラェティー番組のなかで、タレントの綾小路きみまろさんが話していたのを聞いて笑ってしまった。たしか素人さんとのやり取りのなかの話。(覚がきです)
「人は死ぬとどうなるんでしょうね。天国ってどんな所なんでしょう…」
「そりゃ良い所に決まっているだろう。帰ってきたやつはいないんだから」
きみまろさんはメモしますと言っていた。

昨今の報道では「維新分裂・離党」の文字が飛び交っている。橋本市長は舌鋒滑らかだが、私が政治に強く興味を持って40年以上すぎた今、どう振り返って見ても、こういう分裂で大きく成長した政党を見たことが無い。ほとんどが尻つぼみで終わっている。
もう彼の涙にも色がついてしまっている。誰もそれを拭こうとはしないし、もらい泣きもしないしのでは。

「徹ちゃん、やめないで~」「でも1回、政治的に死なせて」
こちらの方は笑えないし面白いろくもない。“1回”死んだら戻ってこられないのは、綾小路きみまろさんの話だけか。やはり橋本徹というご人は、私などとは相容れないのか。政界でも一時「ゾンビ」なる言葉が流行ったが、そちらの世界のご人なのだろう。    
ご本人が記者会見で発言した「僕みたいな政治化が長くやる世の中は危険…」。ごもっとも。

橋本徹大阪市長におかれまして、任期終了後に迎える「お正月」は、是非ご家族とゆっくりなさっては。

参照:日刊スポーツ2015年8月30日号社会面
:水島宏明・法政大学教授ブログ

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おばあちゃんに教えてもらった「和顔施」のこころ [コラム]

 久ぶりに心を揺すぶられ、涙が流れてしまう番組を観させてもらった。
テレビ朝日で3月19日(火曜日)の夜8時から放送されていた「たけしの健康エンターテイメント・みんなの家庭の医学」である。

 三つのテーマの最後にあった、茨城県に住む78歳になるおばあちゃんの出来事を追っていた。おばあちゃんの口の中に発症した口内炎が、そのうち治ると放置しておいたら、いつの間にか癌化してしまい、顔の半分を取り除かないと余命一年と医師からの宣告を受けてしまった。

 そこには、おばあちゃんのことを思う家族の葛藤があった。こういう状況を考えると、どこの家族でもありえる葛藤である。心を揺すぶられたのは、お嫁さんのおばあちゃんへの気持ちと、おばあちゃんの優しさ、心配する周りへの心づかいにある。

 お嫁さんの話では、おばあちゃんは働き者で、嫁いだときから台所仕事なども丁寧に教えてくれるいつも優しいお姑さんだったそうだ。だからこそ医師から「おばあちゃんは癌です」という、むごい宣告を受けたときに、お嫁さんが苦悶している様子は、自分にも実母のことで似た体験があるので察するものがある。

 そんなおばあちゃん。本人が医師から直接、癌の宣告を受けたときはショックを隠せなかったものの、その後は周りの家族に気を使い、心配させたくない思いから笑い顔さえ浮かべる。この強いおばあちゃんをみて、これこそ究極の「和顔施」ではないかと思った。

 宗教でいう「布施」のなかにある「和顔施」は、「無財の七施」のなかのその一つなのは皆さんよくご承知だろう。瀬戸内寂聴さんが好きで、著書を何冊か読んでいるけれど、いたるところにこの「和顔施」の大切さを説いてある。

                  誰にたいしても優しい顔で相手に接する。

 しかし、これがなかなかできない。何人かの人に対し笑顔で接することはできても「誰にたいしても」というのが難しい。まして自分の体に重い病が生じ、苦しいときに本当にどんな相手にも笑顔で接することができるだろうか。

 おばあちゃんは、最新の医療(世界で日本しかない治療)で顔にできた癌をやっつけつつある。CTの写真でもはっきりと癌は5分の1に小さくなり回復にむかっていた。今後も治療を続けることのようで、一日も早い完治を祈りたい。

 それにしてもこの「和顔施」は、今の日本人が忘れてしまった“こころ”の一部分なのだろうか。笑顔で語りかける大切さを、もう一度勉強してみようと思う。

参考:http://asahi.co.jp/hospital/onair/130319.html
(たけしの健康エンターテイメント・みんなの家庭の医学)

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親切だった「NEC121相談窓口スタッフ」のみなさん [コラム]

パソコンの電源を入れると、どこを開いてもモニターの左端に白い枠が出てきて消えないでいた。そこには「マイコンピューター」をクリックすると出てくる、「3,5FD(A)」や「ローかディスク(C)」などが表示される。これには困ってしまい、何が原因なのか考えていた。

そこでGoogleを開き色いろ検索してみたが、歳を感じさせられただけだった。そこに書いてあることすら解釈できないのだ。普段ブログを楽しんだり、Excelでちょっとだけ家計簿もどきで済ましている者にとって、パソコンのハードといわれている内部のことはさっぱり分からない。

しょうがない、こうなったらプロに相談するしかない。そこでいつも頼りにしている「NEC121相談窓口」に電話してみることにした。

相談初日は私の説明がうまくいかなく、なかなか理解して貰えなかったが、よく調べて電話していただくことになった。どうもスタッフの中にも専門分野があるようなのである。約束通り翌朝早くから電話があり、親切に指導していただいた。これがすごいと思う。最後まで対応してくれるのだから。

かなり前のことになるけれど、あるパソコンの周辺機器メーカーに故障の件で電話したことがあるが、その時は「けんもほろろ」そのものだった。まるでロボットのお嬢様と話をしているみたいだったので、今回の対応は驚きでもある。

指導していただいた順番はかんたんそのもの。
○ 左端に出てしまう白い枠の空白部分にカーソルを当て、右クリック。
○ そのなかのに「マイコンピューター」と書いてある同じ項目が2段になって、それぞれチエックが入っていた。
○ それを一つずつクリックすると2段とも消え白い枠はすっきりと消えた。

修理はかんたんだったので、なお更恥ずかしくなってしまった。私自身が、しないでいいことを、どこかで何かをしてしまったようなのだ。パソコンに詳しい人は、そんなこと、と思うかもしれないが、私はこのことで1ヶ月以上悩んでいた。

もっと早く電話すればと考えたが、でもしていたのだ。なかなか繋がらないので半分諦めかけていた。私が今回電話した事柄のように、似たようなことで電話している人が多いかもしれない。それで繋がりにくいのだろうと勝手に解釈することにした。お仲間がいると思えば少しは気が楽か。

歳を受け入れましょ。「NEC121相談窓口」の皆さんには感謝です。

これを機会にまた少しずつブログをすすめようと思う。

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落日の向こう側 [コラム]

落日

いつも夕方になると西のほうに目が行く。北海道、とくに旭川に戻ってつくづく思うのは空気に淀みが少ないことだ。晴れた日の夕日の綺麗な様は、東京に住んでいた頃には目にしていないような気がする。

気がするというのは、地上から車道の延長線上に夕日を見ようとしても、聳え立つビルに遮られてしまい、しっかり見た覚えがないからだ。その上、都会の夕日は、綺麗だなと思わせるよりも暑さが勝ってしまうから、その気も起きないのだろう。

この何年か夏至の(6月21日)前後、なぜか旭川は曇りがちだった。今年もそうでこの写真もやっと24日のなって撮ることができた。天気予報で晴れのマークが出ていても、西の空は曇りがちが多かった。それにしてもこの日の夕日の力は強く、心の底まで焼き尽くさんばかりに燃えている。

でも夕日にその力があるのなら、燃え尽くしてほしいものがある。東京永田町を自分の利益のために奔走する政治屋と、我々の声を聴こうとせずに霞ヶ関界隈を「自分をいかに高く売ろうか」としか考えずに歩き回る官僚の、癌化し腐った欲だけの根性の塊だ。

その都会を挟んで向こうでは、大雨で甚大な被害とニュースでは伝えている。手前の東北地方ではいまだに復旧が叶わず落ちついた日々を送れないでいる。政治屋と官僚たちは、地元選挙区と大飯原発所にしか目が向いていない。夕日に願いを懸けるしかないのが虚しい。


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北海道・泊原子力発電は本当に必要なの? [コラム]

so-net水島さん.jpg

東北大震災の後に起きた、津波が原因とされている福島原子力発電所の崩壊。その後の報道など見ていると、本当に津波だけが原因だったのか。地震による何かの損壊ではなかったのか、いまだ原因がはっきりしていない。

地震の怖いのは揺れだけでなく地殻変動のほうが怖いと聞くと不安でならない。そこで最近、北海道電力(以後・北電)の元社員、水島能裕(よしひろ)さんの話しを聞ける機会があったので参加させて貰った。

私など全く電気関係、ましてや原子力についてまったく無知な者には、レジメをもらって題目を見ただけで、いささか戸惑うばかり。そこで自分が関心を持った範囲で、その内容を少々。焦点にしたのは「本当に北海道の電力は足りないのか」に絞ってみることに。水島さんは具体的な数字をもって説明してくれた。

始めに、北海道の最大電力(発電端1日の最大値)を列記してみると以下になる。
日時 最大電力(万単位) 時期
2011/01/12 578.8万kw 冬場の過去最高数値
2012/02/02 568.0万kw 今年の冬の最高数値
2006/08/09(pm2時) 507.4万kw 夏場の過去最大数値
(※・表1)

北電の設備による出力は、742万kw。そのうち原子力の依存は207万kwと、全体の28%。電力量は原発が4割というが、しかしこれにはトリックがある。泊原発をフル活動(最大限)させ、石油専焼の伊達や知内火力発電所を休ませていたから多くみえるだけ。

まだ他にある北電以外の電力(北電に卸しているなど)を見てみることに。
会社名 発電能力(万単位) 発電方式
パワーエンジニアリング 25万kw 石油火力
エコエナジー 6万kw 水力
電源開発(糠平湖、桂沢湖) 21.5万kw 水力
北海道企業局(士別・岩尾内湖) 7万kw 水力
風力 36万kw
太陽光 0.5万kw 合計96万kw
(※・表2)

もう一つ、独立発電事業者(IPP・北電へ卸している)と特定規模電気事業者(PPS・小売)を表にしてみることに。

会社名 発電能力(万単位) 発電方式 関連
日本製紙釧路発電所 8万kw 石炭 IPP
JX日鉱日石エネルギー室蘭製油所 5万kw 残渣油 IPP
新日鐵室蘭発電所 10万kw 副生ガス、石炭 IPP
三菱電機2箇所 0.2万kw 石油 IPP
出光興産 1.5万kw 石油 IPP
王子製紙苫小牧火力発電所 26.8万kw 黒液等バイオマス&重油 PPS
合計 51.5万kw
(※・表3)
上記ように、表2・3を合わせると148万kwとなる。
北電の742万kwと表2・3の148万kwをたすと890万kwになる。例え北電が泊原子力発電所を休止させ続けたとしても、890万kw-(原発分)207万kw=683万kwの発電能力はある。

表1に於いて分かるように、北海道の電力消費MAXは冬場なのだ。原子力発電所がなくともその数値さえ104万kWカバーできている。風力、太陽光、流れ込み式水力の稼働率減を引いても637万kWある。まして冬場に電力消費MAXを迎えるのは北海道だけ。どうしても足りない時は本州から送電してもらえば、北海道での電力不足は乗り越えられる。

これから先、節電に努力し、ソーラー発電や地熱発電、風力発電、北海道ならではの畜産による糞尿を利用したバイオマス発電など、原発からシフト変えしていくことは大いに可能なのだ。

終わりに水島さんは、北電が今年2012年夏に電力が足りなくなると言っているのは、北海道第2の発電能力を持つ、苫東4号機(70万kw・石炭)を、5月20日から10月にかけて定期点検と大改修するのを前提にしているからで「なぜ2月末から7月初旬でなく真夏にするのか」と、首をかしげていた。そして、それでも北海道の電力は足りると。

以上、北電の元社員、水島能裕(よしひろ)さんの話しをもとに、北海道の電力事情を綴ってみた。参加しての私の結論は、「原発」なくても電力は足りるだった。原発ありきの誘導はもう通用しない。それと、現在の北海道知事高橋はるみ氏は、経済産業省出身であることを心に留めておきたい。

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斉藤和義「ずっとウソだった」で言いたかったこと [コラム]

日刊スポーツ(2011・04・09:社会面)を読んでいて、慌ててパソコンスイッチを入れた。「斉藤和義が原発反対ソング、自身のヒット曲『空に星が綺麗』のずっと好きだったの部分を替え歌で『ずっとウソだった』」の見出しを見てである。Google で検索すると、動画サイトはすぐに見つかった。

このことを報じている中の一つ「Jcastニュース」には、賛否両論が掲載されている。その中にある、

「もうちょっと落ついてから堂々と原発議論しろ。歌一曲で表現できるほど原発問題は単純ではない」
「事故が起きてから反原発とかやっても説得力ないんだよね」
「さんざん電気使って曲作ってきたクセにこれかよ」

などの反論があるが、私はその批判には賛同できない。

とくに批判する方の意見、「歌一曲で表現できるほど原発問題は単純ではない」には強い違和感を持つ。自分のメッセージを伝えたいと思う相手に対し、音楽ほど強烈なものはないと普段から感じているからだ。今回は他人の曲を使わずに自分のヒット曲を自らそのイメージを壊してまでこの行動に出た。それには相当の決断が要ったのではないか。

右・中央が日刊スポーツの記事。左が北海道新聞の記事


少し前になるが、忌野清志郎さんが生前、日刊スポーツの芸能インタビュー<日曜ヒーロー>で答えていたので抜粋して引用してみる。

――「日本で“大御所”と言われる連中は、そういう曲を歌わないよね。誰とは言わないけど(笑い)。触れようともしない。作ったはいいが、よく分からないラブソングみたいなものばっかりじゃ、ちょっと大人として情けないというか、恥ずかしくねえかっていうのがありましてね」――

という個所を読んで納得していた。その時私の脳裏に浮かんだ歌手の一人は、白いスーツを着込んでマイクスタンドをステージで振り回し、ハスキーな声でバラードを歌っている私と同年代の歌手だ。そんな清志郎さん以来、これ程しっかり自分のメッセージを伝える「気骨」のある歌手に出会っていなかった。私自身衝撃は大きかったし、斉藤和義さんには大きな拍手を送りたい。

日本の原子力発電には、相当前から立地(危険な)場所や、内容の秘密主義を貫く未公開姿勢など、日本の中からはもとより世界からも多く疑問を投げかけられていた。それに対し歴代の政府「自民(単独)政権時代」や「自民・公明政権時代」は、黙認同様だったではないか。斉藤和義さんを批判する人は、そのことも付け加えてほしい。

メディアにいたっては、「ACjpan」の共同広告などがいい例で、原発は安心というコマーシャルを流し続け、国民の頭の中に「安心というキーワード」を植え付けてきた。「ウソも100回言えば本当になる」を実践してきたことになる。反発しにくい、反対意見を言いにくい環境をメディア自身が作りあげてしまっていた。そんななかでの勇気ある行動こそ賞賛すべきである。

放映されているUSTREAMの動画を見ていると、一時の配信不通となった様子がある。この現象は本当にトラブルだったのか疑問を持った。余りUSTREAMのライブを見てはいなかったので、普段でも時どきこういうことがあるのだろうかは分からない。自己規制でなければいいのだけれど。

そして、この曲を何回も聴いていて“あっそうか”と思ったところがった。終わりの部分に「何かしたいこの気持ち」のフレーズがある。斉藤さんには、今も今迄もきっと持ち続けていた「言いたいこと」はこれだったように思う。ゆっくり聴いてみると「今、自分(斉藤さん)がすぐできることは歌うこと」と、それが伝わってくる。

私にとってもう一つの救いはこの記事のすぐ下に瀬戸内寂聴さんのコメントが一緒に掲載されていることである。
「天災は防ぎようがないけれど、原発事故は人災。声を大きくして『原発はいらない』と言わなくてはいけない」と語っていることである。

今日4月19日、原子力安全・保安院は福島原子力発電所の事故は、チェルノブイリ事故並みの「レベル7」に引き上げると発表している。どこまで行ってしまうのか。今になって東電の清水社長が、福島県に出向き頭下げてすむものではない。

YouTube (USTREAM)・trueth007さんのアップ:
http://www.youtube.com/watch?v=AylBxsiUSws
YouTube・sty007さんのアップ:
http://www.youtube.com/watch?v=q_rY6y24NAU
Jcastニュース:
http://www.j-cast.com/2011/04/08092592.html
忌野清志郎さん日刊スポーツの芸能インタビュー<日曜ヒーロー>の記事:
http://www.nikkansports.com/ns/entertainment/interview/2005/sun050515.html

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高校野球の夢を台無しにしたプロ野球セリーグの25日開幕:選手会はなぜストライキを構えないのか [コラム]

日本高校野球連盟は18日、爽やかな春を呼ぶ「第83回選抜高校野球大会」を予定どおり開催すると発表し、今日23日全国で選ばれた32チームは「憧れの甲子園球場」に足を踏み入れた。選手を代表し、創志学園のキャプテン野山健介君は「人は仲間にさせられることで大きな困難を乗り越えられる……」と、被災された人たちを慮って宣誓を行なった。

被災地の人には、今テレビの画面を通してプレーを見ることができないとしても、子どもたちの思いはきっと伝わると信じている。

しかしブラスバンドの応援自粛はいいが、双方の応援団によるエール交換は、相手を思う気持ちを育てる意味でも認めてはどうだろう。プロ野球の外野席で、まるでそこだけ異空間のようにあたりかまわず「ドンドン、プカプカ」や「一歩通行の選手名連呼」などで、熱戦の心地よい音を消してしまっているのとは訳が違う。

過去の高校野球を思い出してみると、「沖縄勢の活躍」「深紅の旗が白河の関を渡った」「21世紀特別枠で出場したチームの活躍」「深紅の旗が津軽海峡を渡った」の言葉がよぎる。数々の名勝負を戦い抜いく若者の躍動を目の当たりにし、生きてゆく勇気を与えてもらっていたのは間違いない。また、いま迄、陽の当たらない所に陽が届く。そこにも高校野球の原点があったようにも思う。

それにしても当初の予定より4日遅らせただけの「プロ野球セリーグの29日開催決定」という報道は、それらに水を差したとしか思えない。賛否が大きく分かれているようだが、私は開催に反対している選手会を支持する。

3月20日の日刊スポーツ紙面によると、19日に都内でセリーグは約5時間かけ臨時理事会を開いたかったというが、3月開催ありきでの話し合いではなかったのか。その中、ヤクルトはパリーグと同じ4.12開催を申し出たが、他チームに押し切られたようだ。

セリーグ側は、4月5日からの節電地域でのナイターは「減灯ナイター」とすると言っているようだが、言い訳、パフォーマンスとしか受け取れない。例え球場を節電したとしても、電車で球場へ向かう時に、普段より多くか罹るであろう電気の節電はどうする。車でのガソリン消費についてや、駐車場での灯はどうする。一試合開催するだけでどれほど電力を消費するかどこまで具体的に話し合い考えたのか疑問だらけだ。

「選手の真剣なプレーをお見せすしながら復興を全力で支援したい」と言っているようだが、節電を考えテレビを消して被災地の人たちと思いを共有しようとしている家族に、選手の支援の気持ちが伝わるのか。

ましてや被災地が今どこまで復旧するか分からないでいる。どの程度テレビの設置が行なわれ、それ以上にいつ電気の復旧がなされるかさえ不安を抱えているのが現状では伝えようがないだろう。日本中が国民こぞって節電に取り組んでいる中、病院では手術を行なうにも神経を使っている。
もし急な停電が起きて手術は中止となれば患者は重篤な事態になる可能性さえある。その一方で大量の電力を使用したナイターが行なわれているとしたら、誰が責任を取るのか。強行開催は、自分さえよければ言いという発想そのものだ。

プロ野球選手会は29日まではまだ時間がある。前選手会会長のヤクルトスワローズ宮本慎也選手や、ヤクルト選手会会長も「納得できない」と意思表示しているのが救いか。今日23日に至って、事態は二転三転しているとか。セリーグ選手会はもう一度役員会を開き「ストライキも辞さない」という態度をもって、セリーグ側と戦ってほしい。

今日23日の北海道新聞スポーツ面には「巨人不快感・開幕はお上が決めることですか。節電に協力してくれということでしょう」との談話が載っていた。もう呆れたというか、巨人関係者の皆さん。この未曾有の国難を「あなたたちは、その程度の認識ですか」、何をかいわんやである。

関連記事
msn・産経記事:http://sankei.jp.msn.com/sports/news/110317/bbl11031715140002-n1.htm
          http://sankei.jp.msn.com/sports/news/110317/bbl11031721050004-n1.htm

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「東日本大震災」:米国の軍関係者へ「90km離れろ」の退避命令に何思う [コラム]

今回の地震について、インターネットの多くのサイトを検索していると、つい「私たちは、日本の政府にも先進国といわれる国からも、見捨てられたのか」と言いたくなってしまうことが次々と伝わってくる。国民として、不安を捨てられないでいる。どうして「欧米の原発先進国が」と。

毎日JP・http://mainichi.jp/select/jiken/news/20110317k0000e040062000c.html
によると、「原発退避・各国が独自に対応」との見出しである。多くの人が、すでにサイトをチエックしているわけで、わざわざ書くのもと思いつつも。

現実に今、原子力発電の恩恵を受けている先進国は自国の国民を「危ないと思われる場所を避け、避難せよ…福島原子力発電所より北を避け、より西に遠く避難せよ」と、多くの国から指示が出ているのである。

その原因は、原子力発電や被曝の(数値の)捉え方が国によって違うという見方が多い。官房長官、安全保安員、東京電力などの会見を聞いていると、数値としては「安全性を確保している範囲内」というのに、こうも国によって対応が違うのかと驚く。

これは日本政府と東京電力双方が、この危機に対しての認識不足や意思疎通の不手際が起こした事象ではないか。日本国民の一人として不安を抱くのは、政府は欧米各国にどういう情報を発していたのだろう。日本国民とは違った情報を伝えていたのではないのか。そちらの方が正しいのではないのか。そうでなければ、こんなに慌てふためくだろうか。

このような不安は全て事故後における会見から始まっている。政府側は他人任せ答弁で、自分の言いたいことだけ言って会見場を後にする。東電側は記者の質問にまともに答えず。どこが主として動いているのかがまるで分からない。東電は広報だけでなく、社長をはじめ上部役員が毎回同席する義務があるのではないのか。

救われるのは、米国オバマ大統領が、日本政府の避難勧告である「20kmの範囲内で健康面の影響を最小限抑える上で十分では」と話していることだ。何かおかしな話だ。自国の政府の会見より、米国大統領の会見を信用したくなるのは何故だろうか。
Yahooニュース(時事通信社)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110318-00000039-jij-int

そう思いつつテレビを見ていると、枝野官房長官の後ろ盾で、自衛隊を「暴力装置」と発言した仙谷由人民主党代表代行が、その枝野官房長官の下である官房副長官に任命されたとの報道があった。菅首相は東電に対し「なにやってんだ」と怒鳴ったらしいけれど、今度は国民の一人から菅首相に「なにやってんの」と言っておく。

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分からないことばかり「東北地方太平洋地震」での民主党の対応 [コラム]

今回の大震災に関し、分からないことばかりだ。
東京電力の無責任な報道体制やその姿勢。安全保安員の緊張感のない会見。伝えられたことだけを、ただ記者会見で話しているとしか受け取れない政府の対応。これは、インターネットでのいろんなサイトを見ていると共通している。

もっと不思議なことは、菅内閣は他党に呼びかけ協力を仰いだのはよかった。しかし民主党内の各議員への挙党体制は出来ているのだろうか。現在無所属の辻本清美議員を災害ボランティア担当の総理補佐官に任命した。これが分からない。

大震災が起きるまでは、小沢グループとギクシャクし距離をおいているのは理解できるが、この場に及んでまだ距離をおき続けようというのか。こんな国民を無視した話しがあるだろうか。ただの私の情報収集不足なのだろうか。

辻本議員が適任ではないと言うつもりはない。彼女は心身ともに働くだろう。しかし小沢グループには、フットワークのいい細野豪志議員や、他党と連絡を密にできる原口一博議員など多くいる。なぜ起用しないのか。いまだに国民に、民主党内争いを持ち込もうというのだろうか。今はそんなことやっている時ではないだろうに。

例えば、一人でも多く国会議員を現地に派遣するなど対応は考えられることがあるはずだ。テレビのレポーターが入れて、国会議員が入れないわけない。落ちついてから現地入りして、いかにも働いたようなポーズを取ろうということか。

菅民主党よ、今動かないでいつ動くというのか。他党の議員を引き連れ、長靴を履いて被災地にすぐ向かってくれないか。これは期待を込めたお願いだ。

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何をしてあげられるのか「東日本大震災の支援とは」 [コラム]

3月11日に発生した、M9.0の大地震と津波において、被災された方々には心よりお見舞い申し上げます。テレビのチャンネルを変えるたびに、被災で亡くなられた人の数が多くなっているのには心を痛めます。そして何もして差し上げられないもどかしさも同居しています。

それにしても、東京電力の隠したがる体質は変わっていないなとつくづく感じる。それは何故この不祥事に対し、原子力保安院の人員ばかりが説明に立ち、肝心な東京電力の代表が説明に立たないのか。結果、この緊急事態の対応が後手に回っているという印象を持たざるおう得なくなっている。

その裏側に、東海村で起きたJCO臨海事故の時にあった「隠す体質」が抜けきっていないということがまず始めに感じることだ。あの時は後になって隠していた、その姿勢や方法まであからさまになった。今回の対応にその反省を少しも感じない。これ以上悪い事態に陥らないことを祈るしかない。東電は「予期しない大地震」という言葉を隠れ蓑にしないで、詳しい説明会見を何度もすべきだろう。

一方政府は、枝野官房長官が記者会見を何度開いているも、ほとんどが福島原子力発電所の説明に追われている。それは分かるが、今現在被災し困窮している岩手宮城の人たちの対応は他人任せに聞こえてならない。

テレビのレポーターなどの様子を見ていても、現地の要求は、まず食料で「特に水」の要望なのだ。他の医薬品などの物資もそうだが、地元は全てといっていいほど津波で流されているのだから、それらの流通の確保に全力を注ぐべきだろう。それには一般の人も含め、例えおにぎり一つでも、食料などを届けられるルートが、どうなのか、どこなのかをメディアを通し、広報すべきではないか。

阪神淡路大震災時の「ボランティア」や、この冬に大雪での渋滞時にあった「おにぎりボランティア」を思い出してほしい。みんな何か役に立ちたいと思っている人たちばかりなのだから。国民の力を信じ協力を要請してほしい。

それにしても、遠くにいて何もしてあげられないもどかしさだけが残る。

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