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日刊スポーツ拾い読み:「政局の混乱に見える日本の端境期」 [コラム]

「端境期(はざかいき)」について辞書を開いたりインターネットで検索しみると「前年産の米に代わって新米が出回る前の頃。9、10月頃。また、一般に農産物や商品の新旧交替期で、品薄になる時期」とある。(Yahoo・大辞林から)

今の日本は全ての面でこの「端境期」を迎えているのでは。名ばかりだった「二大政党制」は、政権交代の実現で、国会議員がいかに軽いか、政党や会派というものがいかに軽い政治家の集団かを国民に教えてくれた。自分の言葉の軽ささえ理解できない党首同士のなじり合いを、テレビで見せ付けられると、もううんざりだ。

しかし今回起きてしまった「ニュジーランド大地震」での日本政府の対応は目に余る。殊に前原誠司外相の政府専用機の対応を見ていると、この国の政治を預かる外務大臣としての信念を感じられない。記者会見など見ていると、心ここに在らずで目が泳いでいる。

地震発生当初「国際援助部隊と供に被災にあったご家族などを政府専用機に同乗させ現地に連れて行く」と発言していたはず。それが「自衛隊との調整がつかない」とか「結果としてがっかりさせたことは申し訳ないと思っている」とかに軽言調整。
この「政府専用機で…」は、事前に調べて発言したのか、それとも自分は大臣なのだからそれは可能だとの判断だったのか。大風呂敷発言と言われても仕方ない。無責任すぎる。

日刊スポーツ(2011・2・26)の社会面を読んでいると、心ここに在らずはこれかと思う記事が載っている。
それは前原氏を中心とする議員グループ「凌雲会」の有力幹部が、グループ若手議員に衆院解散・総選挙の準備を指示していたとある。他国で起きた出来事より自身の心は解散の対応に重きを置いているとしか思えない。なぜこの時期にこういう行動が取れるのか、全く理解できない。

そこで、Yahoo・大辞林の「端境期」をもう一度見て、「一般に農産物」を「国会議員」に、「新旧交替期で、品薄になる時期」を「政権交代で政治家の品薄の時期」に置き換えると、端境期の新しい解釈が成りたちそうだ。

メディアでは、首相の交代論や解散・総選挙などが公然と出始めている。その際、例えばテレビに出演しているパネラーから「そうころころ首相を変えてもいいのか」とか「選挙をやれば800億円の費用がかかる」など消極論が出ている。しかし私はそうは思わない。

長い歴史の中で、今の日本は「端境期の真只中」だと考えている。広い意味では移行期という解釈もあるようだ。費用云々ではなく、今国民の力で乗り切るしかなく、例え何回かの解散・総選挙を行ったとしても、その中で国民が国会議員を育てていくと考えてみてはどうだろう。反面、国民も試されている時期でもあると思う。

47news:凌雲会の幹部が解散の準備を指示。
http://www.47news.jp/CN/201102/CN2011022501000768.html

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何かの違和感「タイガーマスクのランドセルプレゼント」騒動 [コラム]

すっかり下火になってきた感がある、自称タイガーマスクによるランドセル騒動。あえて騒動としたのは何か違和感を覚えたからだ。最初にプレゼントした人は、こんなに大騒ぎになるとは思っていなかっただろうし、本人にとっては「いつもしている事の一つだったのに」という思いかも知れない。その後善意が続いていても、何か違和感を拭えないでいる。

よく考えるとマスコミが取り上げていたのは、これから小学校に入学する、いまは保育園などの園児に対してがほとんどだった。マスコミは「誰がタイガーマスク」かと、まるで芸能人の追っかけをするように走り廻っている。もっと他にすることがあるだろうに。

マスコミは今回の一連の流れの中で、寄付という善意の運動をしたいと、日頃から思っている人が多いことを知ったはず。それなら何処が寄付に頼っているのかを知らせるのが彼らの仕事だろうに。助けを求めているのは小さな子ども達ばかりではないはず。そこだけに集中した報道に違和感を覚える。

世間には、給食費を払えないために「学校へ行きたくない」という子供もいる。家庭の大黒柱である父親が、交通事故や病気で死去し母子が残され、高校や大学の通学を諦めざるおう得ない生徒もいる。見る目をもっと他に向ける努力をしてほしい。

話しは飛ぶが、先日北海道新聞の朝刊(1月6日付)を読んでいると、国が違うとこうも違うものかと思わされる記事が載っていた。韓国の金泳三元大統領が「自分が死ねばそれで終わり」と言って、自宅を含め全財産である約50億ウォン(約3億6千万円)を、社団法人や地元自治体に寄付したとか。

それを読んだ後、日本を見てみると考えさせられることが多い。国会議員はまるで守銭奴のごとく、どうすれば政治規制に触れないかに思いを集中させ、「献金」という名の寄付を受け続けている。鳩山由紀夫元首相に至っては母親から頂戴した多額の金額に当たる税金を未納していた。(その後修正し、納税後の税金還付の1億3千万円を受け取ったようだ。)

日本の法律では、国会議員の寄付は違法なのはよく知られている。ただ鳩山由紀夫元首相は、首相を退いたら国会議員を辞すと言っていたのでは。それが地元の要請があるからと言って、今後も国会議員を続け、次の選挙にも出馬するとか。この「潔しとしない」進退表明には、呆れるばかりだ。

宣言どうりに国会議員を辞して一般人になればいくらでも寄付はできる。しかし鳩山家一族は血の継承に固執しているのか、韓国の金泳三元大統領が取った行動は端から眼中にないようだ。これは鳩山家一族に限った話しではない。年に一回は公表される国会議員の資産や、長者番付を見ているとその金額(資産)に驚きよりため息が出る。

でもよく考えると、こういう大資産家がいるから「タイガーマスク・伊達直人」が世に生まれ活躍し多くの喝采をあびたともいえる。しかし一方では「jfra・ファンドレイジング協会(代表・堀田力)」のように、一般の寄付を含め多くの人たちの善意を有効に子ども達に役立てようと活動しいている、民間非営利団体(http://jfra.jp/)もある。


【参考】jfra・ファンドレイジング協会:http://jfra.jp/
北海道新聞1月6日・朝刊:http://www.hokkaido-np.co.jp/
石原修のよもやまばなし:http://scienglish.exblog.jp/11971261/

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ホームページの更新がやっとできました [コラム]

今年の春の3月になって立ち上げた、マイホームページ。もう一つの観があって作り直そうと思い、作業に入ったのはいいが、ゴチャゴチャになってしまった。そこで少し休もうと考え時間を置き作業を再開。やはり休むも手かと実感。

自分のイメージ通りにはいかなかったけれど、なんとかそれに近いものを作れた。いま迄は欲張りすぎて、あれもこれもとはしゃぎ過ぎていた観。ホームページを始めようと考えたときの、初心に戻ってテーマを絞ることにした。

何かと世知辛い世の中、軽くなった政治家。何処かに何かをぶつけても、何も帰ってきそうもない。世界中がなにか鬱々とした雰囲気に覆われているようにも。そんな時こそ「老子道徳教」をもう一度読み直して、一つ一つ考えることも一手かと思い、少し続けてみようと考えています。

まずは、自分の人生の一大事だった「パニック障害」を自分なりに振り返り、考えてみようと思いスタートします。時どき見て下さい。アドレスは変わっていません。

「大雪の麓の空っぽ庵」
http://www7b.biglobe.ne.jp/~karappo-ann/index.html

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かけっこで一等賞に心が弾んだころ [コラム]

以前、運動会で手を繋いでみんなでゴールインするという、何だか訳のわからない指導があったと聞いた。そのテーマは「平等」らしい。検索サイト「Google」を見ると賛否両論がこれでもかと載っている。

私の小学生の頃、運動会会場である校庭に、校長や教頭、来賓などがテントの下に陣取っていた。その横にもテントがあり、その下には当時では貴重品であるノートや鉛筆が、一等賞・二等賞などと書かれた紙に包まれて並んでいる。五等まで入ると何かしらもらえるので、おおよそ自分の実力を知っている生徒はそれを横目に、思いっきり走ったものだった。

ゴールすると、竹竿の上に①か②とか書かれている旗が渡される。それを持ってテントの下に行くと、何らかの「ご褒美」をもらえた。昼休みの時間になるとそれを持って、応援に駆けつけている家族のところにいき報告する。母親などに褒められることが、嬉しいながら何かむず痒い時間だった。

我々がいま生活する周りに、物が大量に有り余っていて、そういう感動からかなり遠くなってしまった。しかしそれは日本を含め、先進国と言われている国に限られているようなのだ。世界のそこかしこに、「戦争や政争」に巻き込まれ、運動会もできないし、楽しく走り競う会うこともできない子供たちがたくさんいる。

先日、NHKで高遠菜穂子さんの、イラクでの活動報告が放送されていた。そのとき子供達が、高遠さんからノートを受け取ったときの無邪気で体の底から喜んでいる姿が映し出されていた。それを見ると、刹那さでつい目頭が熱くなっていた。

高遠菜穂子さんのボランティアとしての活動に感謝しつつ、私達にもノートや鉛筆を含め洋服などを送る援助に参加ができるのだ。直接送るのではなく、寄付を集めそのお金で現地調達してもらう。私達は、喜ぶ子供の絵顔を想像するだけ、それでいいのでは。

郵便振替口座番号:02750-3-62668
加入者名:イラク支援 ボランティア 高遠菜穂子

高遠菜穂子さん:イラク・ホープ・ダイアリー http://iraqhope.exblog.jp/
孤児となった子供達などに洋服を配っている http://iraqhope.exblog.jp/12547290/

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「クロンボ」が助けてくれた“命” [コラム]

 ご存命だと100歳になっているだろうか。終戦のとき、南方の島にいて運よく帰還した高田さん(仮名)は、当時23歳になる私に対し、子供を見るような目で優しく接してくれた。戦争(第二次大戦)の話になると、必ず「俺はクロンボに助けられた」と言っていた。

 1972年(昭和47年)12月に、衆院議員の選挙が行なわれた。私はその年の春に都議会議員から立候補する人に就いて、選挙の手伝いをするようになった。すでに支持者は活動を始めていて、新参者はただ言われるままに走り回るだけだった。宣伝カーの運転や、夕刻になると駅前にたって、立候補(予定)者のことを詳しく載せたビラを、出勤帰りなどで駅舎から出てくるサラリーマンなどに手渡しをしていた。

 支持者の一人で、私と同じ仕事をしていた高田さんは都電の運転手をしていた。しかし都電は少しずつ路線廃止が進んでいた。その後、都バスの運転手になった。よく知る人の話だと、高田さんのバスの運転は目茶苦茶で、平気でコースを外して走るなど、かなりいいかげんだったようだ。それでも愛嬌のある人で、上司もただ呆れるだけ。少々のお咎めで済んだようだ。

 春から動き始めた選挙運動も、夏には暑さなどで中だるみの時期に入っていた。今もそうだが、当時も8月になると「大戦・ヒロシマ・ナガサキ」が話しの中心だった。大戦を最前線で経験している高田さんの話はこの歳になっても忘れられない。

 高田さんが敗戦を迎えた場所の名前は思い出せないが、「南方」という言葉が印象として残っている。小隊の一員として行動をしていたときに終戦を迎えたが、ジャングルの中だったので水も食料も底をついた。数人が固まってうずくまり、ただ死を待っているだけだったようだ。そこに日本軍の衛生兵が来た。

 衛生兵は、うずくまる隊員の一人一人に注射を打ち始め、隊員はそのまま倒れていった。そのとき、高田さんは「これで楽になると思った」と話した。しかし高田さんに順番がきたとき衛生兵は「すまん、液が切れた」と言って、森の中に消えていったと言う。

 私は始め「楽になる」の意味が解らなかったが、それは「これで死ぬことができる」だったのだ。高田さんは、衛生兵が注射を打つ話しを、まるで本を読んで聞かせるように話すので、私は子供の頃、昆虫の標本を作るのに赤トンボに注射を打ったことを思い出しながら聞いていた。いま想えば飄々と話す高田さんは、どういう気持ちでいたのだろう。

 一人残された高田さんは、ジャングルの中を彷徨っていると、近くでジープが走る音を聞いた。すでに力が無くなった体を這うように、何とか音の聞こえる方へ向かった。すると、そこにはジャングルを分けるように1本の道路が走っていた。ジープはそこを駆け抜けていたようだ。

 高田さんはただ待ち続けた。そこに米兵数人が乗った1台のジープが来た。高田さんを見たが無視し走り去ってしまった。しばらくして別のジープが来た。通り過ぎたところで止まり、高田さんは一命を取り留めた。走り去ったジープに乗っていたのは白人の米兵たちで、止まって救ってくれたのは黒人たちの米兵だったようだ。
 
 「シロは置いてきぼりにしたよ、でもクロンボは俺を助けてくれたんだ」。この言葉の重さを私は量ることはできないが、飄々と話す高田さんの目には力があった。戦場の最前線で向き合った“生と死”を、若いながらも考えさせられた、ひと時だった。

 最近、高田さんを思い出しながら感じることがある。「命の軽さ」が歳を追うごとに増しているのではないかと。戦後の食糧難をともに乗り越えてきた同年代の人たちが、無謀とも思える計画で山へ出かけ、いとも簡単に“命”を落としている。幼い子供は、若い両親の稚拙な教育観の下、虐待を受け“命”を失う。その両親の罪の意識の軽さにも唖然とさせられる。“命”の重さをどう伝えたらよいのか。

 今年も8月15日がやってくる。いつもより暑い「終戦記念日」になりそうだ。65年前、国家の力によって、なかば強引に“命”を落とした人たちに思いを向けることで、“命”を問い直す機会になるといい。


 昭和45年当時の都電マップ
 http://homepage1.nifty.com/chi-anzu/toden/line/map_line.html

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「貸本屋」の衰退から感じるもの [コラム]

最近テレビを見ていても面白くなくなった。お笑いタレントが、棚卸後のバーゲンセールのように次から次と出てくる。何故、笑えるのか分らない所で、笑い声が聞こえてきて、白々しさを感じる。

笑いの強制なんか「真っ平ごめん」と、すぐにチャンネルを変えるが、そこでもまた似たような番組で、似たようなお笑いタレントが出ている。「歳のせいか、どうしようもないや…」と諦め、テレビを消してしまうことしばしばだ。

一週間のテレビ番組表を見ていて気づいたことがある。時代劇の番組が姿を消している。少し前までは、「鬼平犯科帳」「必殺仕掛け人」「暴れん坊将軍」「御家人斬九郎」など、シリーズで見ごたえのある番組が続いていた。
単発でも心に残っている作品もある。藤原竜也主演の「さぶ」は、青年が大人へ成長していくなかでの、友情と裏切りが交差するせつなさが伝わってきた。

まだテレビなどない頃(もう50年も前になる)、何をしていたかを思い出してみる。そういえば、同じ町内に「貸本屋」があった。一冊いくらという貸し出し賃料は思い出せないが、一遍に4~5冊は借りていた。それを母親と3人の姉それに末っ子の私が順番を待って読みあさっていた。2泊3日位だったろうか、読み終えるとすぐに返しに行った。

あの頃は、1週間もすると「貸本屋」には新作が並ぶので、それをわくわくしながら待っていた。借りた本の殆どは時代劇で「お家騒動もの」ばかりだったが、貧乏一家唯一の楽しみだったことを思い出す。

いまは「貸本屋」は姿を消し、チエーン化した古本屋の看板をよく見かける。よく覘いてみるが、棘とげしく耳に障る音楽が流れていて、読みたい本を集中して探す気力を削がれてしまう。5分もしないうちに店を後にしていることが多い。

最近、なにか殺伐としたものだけが伝わってくる。自分の心に落ち着きのないのが分る。テレビをあまり見なくなって、パソコンに移ってもそう変化はない。何か体の中に空洞ができてそれを埋めることができない。時代が危ない時期に差しかかっているのだろうか。小さな「貸本屋」の温もりが懐かしい。

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むかし甘かった「かわり玉」と、いま甘くない「かわる鳩山首相発言」に思う [コラム]

子供の頃、町内にあった保育所に通っていた。その横に小さな雑貨店があり、店内にはいまは懐かしい「黒糖菓子、らっきょ飴、ねじり菓子」などが並んでいた。母から離れたくない私は保育所に行きたくなく、門の前に来ると母の帯紐に指を絡ませごねていた。

いま風にいえばパートのような仕事をしていた母は、いつもその店で「かわり玉」を2つほど買って、一つを私の口に放り、もう一つを手に握らせ、なだめるように保育所の保母に私を預け仕事に向かった。

母の後姿を涙ながら追っかけていても、口の中ではしっかり「かわり玉」はなめていた。その次々と色が変わる不思議と、次は何色に変わるのかという期待で、口の中に指を突っ込み取り出しては色を確かめる作業を繰り返していた。

昨年、大多数の議席を持った一つの野党が、連立という形は組めど、日本では憲政史上初めて政権交代を実現させた。恒例のように新政権に名前をつけたがるメディアも、いまもって「○○政権」という呼び方をしていない不思議を持った新政権だ。
しいて言うと最近になって、幹事長小沢一郎氏の独裁ぶりが顕著になったのを受けて「小鳩政権」という活字が見えてきたぐらいか。

その党の独走を許している原因はいろいろ言われている。総理総裁である鳩山由紀夫首相の指導力のなさ、カリスマ性の乏しさが、党の強引さを拒みかねているように見える。余りにも一国の代表の発言とは思えない言葉の軽さや、その日に何度も変わる発言が、国民を巻き込んでの混乱を招いてしまった。

沖縄に関する発言は酷いもので、今日になって放った矢はブーメランのように元の「辺野古の海」に戻ろうとしている。それどころか、県民・地域住民の「新たな受け入れ拒否」という負荷まで付けて戻ろうとするものだから、ブーメランが放たれた所には戻れず、揺れながら宙に浮いたままだ。

「かわり玉」なら変わる色を楽しみ、なめ終わった満足感が残るが、一国の代表の発言がこうもコロコロ変わると、不満だけが鬱積する。現体制で7月の参議院選挙を乗り切ろうとしているようだが、結果は押して知るべしか。「事業仕分け」の成果だけでは、いままでの失態はカバーできまい。

「小・鳩」の二人によって、多くの国民の信頼を損ねている現状を考えるなら「ごめんなさい」と謝り、新体制で出直してはどうか。

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雪が解けるとくなるとなぜか“カンツオーネ”を聴きたくなる [コラム]

毎年この頃になると、1960年代のメロディーがよぎる。最近“YouTube”を複雑な思いで検索している。 1964・65年頃の日本、とりわけ北海道の家庭環境は、決して裕福ではなかった。テレビ(当然白黒)を置いている家はそうあったわけではない。我が家もしかりで、町内でも遅いほうだった。10歳上の兄がやっと取り付けてくれたのは私が中学生のときだった。

チンクレッテー.jpg

1年位前だったろうか、42型くらいのデジタルテレビが家に設置されるというので、少年が学校から走って帰ってくるCMがあった。ご記憶だろうか。あの20秒間が、 1960年代そのままと言っていいと思う。あの時代の子供の心をうまく捉えている。
このシチュエーションを考えたのは、きっと私たちと同じ年代の人ではないかと思いつつ、少年を見るとつい笑ってしまう。

昨日聴いていたカンツオーネは、今でも好きな「ジリオラ・チンクレッティーのノノリタ(日本訳:夢見る想い)」と「ウィルマ・ゴイクの(日本訳:)花咲く丘に涙して」の2曲。とくに、ジリオラ・チンクレッティーには思いが強い。あの頃のテレビの想い出で、最も印象に残っているのが「サンレモ音楽祭」の番組だ。

当時、毎日のようにラジオなどで聴いていた音楽は、アメリカンポップスというか、ビートルズを中心の、米国音楽雑誌「ビルボード誌」の上位にランクされた楽曲が多かった。そんなとき「サンレモ音楽祭」がテレビで流れていた。“カンツオ-ネ”の新鮮さや、画面に映るチンクレッティーの美しさは、半端ではなかった。

そして“YouTube”で、チンクレッティーに再開した。流れる音楽とともに彼女の笑顔は、今でも還暦を過ぎた男の胸をくすぐる。旭川の雪の中の生活は、一冬3ヶ月~ 4ヶ月になる。それからの開放感と「ジリオラ・チンクレッティー」の歌声を久しぶりに聴いたその後の、このわくわくする気持ちを、どう説明しいいものか。

   ※この記事は「大雪の麓の空っぽ庵」
    :http://www7b.biglobe.ne.jp/~karappo-ann/index.html より転載し加筆しました。


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狼少年になったら怖い「地震情報」過多 [コラム]

最近、テレビの報道番組を見ていて、「そうなったってしかたないよ」と言いたくなる場面があった。 2月28日に起きた「南米チリの地震」による津波警報で避難した人の割合についての報道である。

その番組の中で「調査の結果、津波警報が出て避難した人は10%を下回った」という発言をしていた。「そうなるよと」思ったのは、最近テレビを見ていると“やたら”と言ってはいい過ぎかもしれないが、地震情報のテロップが多すぎるからだ。

日本は地震の多い国なので、備えが必要なのは最もな話しだ。ただ、震度1か2クラスで、「ここまで流さなくてはならないものなのか」と思うほどテロップが多い。自分を含め視聴者の心理を考えると、「あ、またか…震度1だろう?…」となってもやむおう得まい。殆どのテレビ局が、一斉に流すところを見ると「政府の支持か協定が結ばれているのだろうか。

普段における地震情報をもう一度考え直しては如何だろう。テレビに流れるテロップは、すっかり「狼少年」になっている。これでは「震度5クラス」がきても、自分の住居などが大揺れを起こさない限り、避難行動を取らなくなるのではないのか。

しかし今回の「南米チリの地震」情報は、インターネットなどで、多くの人の意見を見た上での、私個人の見解に過ぎないが、これでよかったと思う。結果として、日本での被害は少なくてすんだのではないだろうか。“なぜ逃げなかった”のかと「情報過剰」とは無関係ではないように思う。

残念なのは、新聞によると「地震があった2月28日に全国各地の海岸で、約1100人のサーファーたちは警告(避難指示)を無視し、陸に上がらなかった。北海道では、苫小牧海上保安区・厚真 (あつま)海岸では、見物人を含め海岸に100人が集まり、非難呼びかけを無視するサーファーがいた」とあった。

これなどは余りにも無謀すぎるし、身勝手ではないか。災害時にこのような「自分は大丈夫」的行動は、何かがあったときの二次被害を招く可能性が高い。救助する側にも家族はいる。「若いから」ではすまされない。

関連記事: asahi.com
      http://www.asahi.com/national/update/0304/TKY201003030535.html

      この記事は「大雪の麓の空っぽ庵」より転載―↓―こちらもよろしく!!
      http://www7b.biglobe.ne.jp/~karappo-ann/index.html


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「豚ウイルス問題で自ら管理能力の未熟を露呈した桝添厚労相」 [コラム]

「自分を正当化」する最たる手段の中に、「他を否定」することがある。自分の足元をよく見ないまま、他人の足元を見て責めたてり、得意がる。そのスタイルが今回起きた。

「それもやります・・・あれもやります・・・」と、何でもやります発言が板についた桝添厚労相。ともかく「目立ちがり屋大臣」の最先端を行く人と常々思っていたが、今回の失態は少々醜さが残る。

それは今回の豚ウイルス問題で、感染の可能性があると言われた、横浜市に住む高校生徒の検査結果において、桝添厚労相は「横浜市と連絡が取れなくなった・・・」と、わざわざ深夜に会見を行い、横浜市に対し「組織として危機管理の体をなしていない」などと、怪訝な顔を見せた。

何ということはない、今回の問題では互いの担当者同士が連絡を取り合い、会見時間を調整していたのに、厚労相は自身の足元で流れている動きも知らず、勝手に会見を行い横浜市の対応だけを非難した。横浜市の中田市長も、これじゃたまったものではないだろう。

いったい「組織として危機管理の体をなしていない」のはどっちなのか。事がことだけに、笑い話にもならない。先日起きた北朝鮮ミサイルの発射において、自衛隊発表の不手際や、今回の「でしゃばり大臣」の愚かさは、現政権の危うさの象徴なのか。

「永田町や霞ヶ関」に刺激を与えるのは、早い所「解散総選挙」を行い、政権交代をするしかない。国家の最高責任者である麻生首相も、いくらゴールデンウイークだからと言って、外国で有頂天になっている時ではないだろう。

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